<<こちらは妊娠中の振り返り記事です。>>
管理入院になった経緯は下記の記事でお話しました。
いつも妊婦健診でお世話になっていた近所のS大学病院からJ大学病院へ搬送される救急車の中で、自分の中では子宮頸管が短くなっていることも無自覚で至って健康のつもりなので大勢の医療スタッフに囲まれて、しかも救急車で搬送されるという事実にとてつもない大ごと感にさらに不安が込み上げてきました。
J大学病院に着くと、受け入れのための看護師さんと先生が待っていました。
救急車に乗って、J大学病院に搬送されることは旦那さんにも伝えていたので旦那さんも仕事を急遽休んで病院まで駆けつけてくれました。
ほとんど入院準備をしてなかったのに旦那さんが必要なものをまとめて持ってきてくれました。(本当にありがとう!)
病院に着いたら、採血やら内診やら点滴やら色々なことが怒涛の勢いで行われてなされるがままにといった感じでした。
入院して最初に入ったのがMFICU。個室でかなり快適なお部屋。
検査や先生からのお話がひと段落して、やっと病室でホッとできた時にはもう夕方になっていました。旦那さんともこの時にやっとゆっくり会話ができてかなり安心したのを覚えています。
早産予防として張り止めの点滴と、早産になった場合に赤ちゃんの肺機能の成熟を促す筋肉注射を打つことに。採血や点滴、注射で腕は傷だらけ。精神的にも色々なことが起こって入院初日はかなり疲弊しました。
とにかく1日でも長く赤ちゃんにお腹にいてもらうことを考えて生活する日々。
妊娠中に歩き回ったのが良くなかったのかな、と自分の行いを悔やみました。
これから始まる入院生活への不安と早産になるかもしれない不安。もっと安静にしていればよかったのかなと考えたりもしました。
自分は管理入院にはならない、と思っていたのが現実になってしまってこの先どうなったしまうのか・・・。
そんな落ち込みムードの私に優しく接してくれた助産師のみなさん。
入院中は毎日、助産師さんに双子の心拍を確認してもらっていたので元気に動く心臓の音に元気をもらっていました。
突然の管理入院になってしまったので行こうと思っていた両親学級にも行けず、抱っこの仕方、おっぱいのあげ方、おむつ替えなどはJ大学病院の助産師さんが空いてる時間に病室に来てくれて教えてくれました。
優しく寄り添ってくれるスタッフさんたちのおかげで入院生活も明るく過ごすことができたので本当に感謝です。
入院生活は基本シャワーなのですが、助産師さんが気を利かせて足湯ができる桶を準備してくれたこともありました。そういう気遣いができる人って本当にステキ、自分も見習わないと!と思わせてくれるようなことも。
1週間ほど経った頃、当初通っていたS大学病院のNICUに空きが出たとのことで、今日か明日には転院できるというお話がありました。
この時の私はとにかく早く家の近くのS大学病院に戻りたいと思っていて「今日戻りたいです!」とお伝えし、またも救急車に乗って搬送されることになりました。
良いスタッフさん、先生に囲まれたJ大学病院での入院生活でしたが、やっと通い慣れたS大学病院に戻れることでどこかホッとしている自分もいました。
そして、この決断が後にとても大事になるとはこの時はまだ誰も知る由もなく。
次回に続きます!
最後まで読んでいただきありがとうございました!